ターミナル駅の「迂回と集客」その3

国の政策として「ターミナル駅を迂回」するかたちでの地下鉄建設が進められる中、田園都市線の建設は結果的に新玉川線(今は田園都市線に名称統一)と半蔵門線を生み、東急は再びふたつの「渋谷駅」を手に入れました。しかも田園都市線は大きな発展を遂げ、東横線をしのぐ「本線格」になりました。こんなことを成し遂げたのは東急電鉄だけです。


しかし、田園都市線の沿線人口が劇的に増加した結果、渋谷駅の新玉川線・半蔵門線ホームは完全にキャパオーバー。それどころか新玉川線そのものがキャパオーバーになってしまいました。


一方の東横線も、やはりキャパオーバーでした。8両編成までしか走らせられない、収容力の無さも問題でした。直通相手の日比谷線の混雑も激しく、過密ダイヤ故に直通運転の本数も増やせません。


田園都市線・東横線という2つの本線格を有する東急は、悩みも抱えたことになるのです。


地下の新玉川線区間は複々線化できません。東横線は、一部は複々線化できないことはないのですが、それでも渋谷方ではそれは難しいことのようでした。ここで再び「ターミナル迂回」が浮上します。混雑を緩和するには、渋谷駅に直行しそこで乗り換える人間を減らすしか無いのです。


東急電鉄の施策はこう。


まず田園都市線。二子玉川どまりの大井町線を、溝の口まで延伸。そして溝の口から大井町へ急行電車を走らせて、田園都市線方面から品川やお台場方面への通勤客をそちらに誘導することにしました。大井町線の溝の口延伸と急行運転は、大井町線を田園都市線〜山手線のバイパスとして機能させることが目的なのです。


そして東横線。複々線にできるところは、複々線にしました。そして、目蒲線とつなげました。これが今の「目黒線」です。目黒線とは、東横線の複々線化であり、別線増線だったのです。目黒線は地下鉄南北線や三田線と相互直通運転を開始。東横線から日比谷(もともと行けたけど)や大手町、四ツ谷や市ヶ谷に一本で行けるようになりました。


ここにもうひとつの計画が絡んできます。「地下鉄13号線」、つまり副都心線です。和光市〜池袋間は、東武東上線や西武池袋線、そして地下鉄有楽町線の別線増線として機能します。一方、池袋〜渋谷間は計画こそあったものの、政策的な理由で保留になっていて、90年代末に緊急経済対策と「山手線のバイパスとして期待できる」ということからGOサインが出た路線です。山手線への集中を逸らすことは正義なのです。


東横線は、この副都心線の計画に後から乗っかり、渋谷駅を地下に造りかえて相互直通運転をさせるという策を取りました。渋谷で山手線に乗り換えること無く、新宿(三丁目)や池袋に行くことができるようになります。東急の事情を言えば、JR東日本のヒット作「埼京線」や「湘南新宿ライン」に対抗するためにも、必要な施策でありました。


トータルでは結局「いかに渋谷駅と山手線を迂回させるか」という話になります。山手線という都心の大動脈の混雑を和らげ、東急の各路線の混雑も和らげ、なおかつ東急電鉄がプレゼンスを維持するためには、それが最適解なのです。何せ、山手線の混雑緩和、ターミナル駅迂回、どちらも長年の「国の政策」です。あらがうのではなく、新たな移動需要を創出するしかないのです。


そしてそこに「渋谷を作り替える」というミッションがかぶさりました。


渋谷は「都市再生特別措置法」とやらによって、大規模な再開発と区画整理事業まで行われます。渋谷と東急を取り囲むありとあらゆる環境が、2000年代になって動き始めました。東急は、渋谷を作り替える中で、ターミナルである渋谷にビジネスの基盤を築き続けなければなりません。


そもそも、ターミナル駅を迂回させるという国の政策に対して、各鉄道会社の百貨店部門や沿線開発部門が、素直に「うんうんそうだよね」などと思っていたわけがありません。ターミナル駅としての地位を保ち、できれば発展させていきたいと考えています。


迂回もさせなきゃいけないし、集客もしなければいけない。東急に限らず、東京の大手私鉄は、何十年にも渡ってその課題に取り組み続けてきました(くどいですが、そこを好き勝手にやらせないために“政策”で調整しています)。東横線と副都心線の相互直通運転、そして渋谷ヒカリエは、その大きな流れの中で生まれた必然だったのです。


(もちろん、東急電鉄が渋谷以外にも投資することで沿線全体の価値創出を図っていることは言うまでもありませんし、横浜を有しているという強みも忘れてはなりません。)


あの東横線渋谷駅がなくなる、なくなったということに対するノスタルジックな感情は否定できません。しかし当の東急電鉄は、そして渋谷という土地は、今から何年も前に「アオガエルを首チョンパ」することで、その種の感情を置いてきたのでした。


追記:アオガエルっていうのは、東急の、そして日本の歴史的車両。

ご参考:

デハ5001号は譲渡先の上田交通で1993年(平成5年)に廃車となった後、静態保存のため東急に返却され、登場時の緑塗装に復元の上、長津田検車区での保存を経て、東急車輛製造の構内で保管されていたが、2006年(平成18年)10月26日から渋谷駅ハチ公口で車体後部をカットし、台車や床下機器を取り外した状態で昔の渋谷駅の写真とともに展示されている。

引用元: 東急5000系電車 初代 – Wikipedia.