広告主は編集記事と広告の違いを意図的に無視している

以下の記事を読みました。

リンク: 日経ネットマーケティング創刊記念セミナー…「売りにつなげるブログ活用法 実践ブログマーケティング」|カレン次世代ビジネスリサーチ室ブログ  執筆:四家正紀.

田口さんご本人のように、一人で何でもやってしまい、しかも独自のバランス感覚で読者の信頼も損なわないすごいブロガーは確かに存在します。
しかし、企業側としてブロガーに働きかけるときに、「編集長」に対するアプローチと、「応援団・販促企画協力者」に対するアプローチは別と考えないと、話が混乱してしまうのではないかと危惧するのです。

(ここから私が書く感想は、人によっては「何をいまさら」という内容であることをお断りしておきます)

まったくおっしゃる通りだと思います。

しかし、すでに企業の宣伝担当者や広告代理店の担当者の多くが、『「編集長」に対するアプローチと、「応援団・販促企画協力者」に対するアプローチ』について見失っている、もしくは意図して無視するという傾向が、雑誌でもWebメディアでも強まっています。というか、実際はそういう人種なんですよ、彼らは。

(2007/9/28/19:08 追記:人種でくくるのは、乱暴でありました。私の知り合いや、いっしょにお仕事させていただいた中にも、素晴らしい広告宣伝担当者、広報担当者はいましたし、他にもたくさんいらっしゃると思います。気分を害した方がいましたら、お詫びいたします。戒めの意味で記述は残しておきます)。

そもそも、そういうことがわからない担当者のほうが多かったと思いますが、企業の中には少ないリソースで業務をこなすために、広報も宣伝も同じ人間がやるということが増えており、ますます「わからない人」が増えていくわけです。また、歴史の浅い媒体(ここ数年でメディアビジネスを始めた若い会社)だと、編集側も「記事なんか売って当たり前」だと思っているので、余計に加速していくのです。感覚的には、すべての記事は記事広告になり得る、広告1つさえ出しておけば——みたいなね。

とにかく、記事の内容が気に入らないと、すぐ広告営業に圧力をかける企業が多過ぎます。そして増えました。雑誌ビジネスは(Web媒体も含め)広告が入らなければ成り立ちませんから、どうしたって編集者は負けます。例えば製品レビューの場合、事実誤認がないか確認するためにメーカー校正を取ることが多いわけですが、そのメーカー校正に対して「広告だって出してるんだし、気に入らなければ何でも直せるのが当然だ」と思っている人もいます。そして、その圧力に屈する編集者もいるわけです。

しかし読者は「ああ、また提灯記事だ」と見抜きます。全ての読者が見抜いているとは言いませんが、見抜ける、もしくは疑ってかかる読者が増えたことは、今さら言うまでもありません。提灯記事が多いと認識される=媒体価値が落ちる、ということです。つまり、媒体の価値を落としているのは、媒体に広告を出している人たち(と、そこに魂を売り渡す媒体社の広告営業&編集者)なのです。だって、真実を書いている記事ですら疑われるわけですよ。新幹線N700系問題でも明らかですよね(確かに一部、ネタにのっかってるだけみたいな、なんだか嘘っぽいブロガーもいましたけど)。

ブロガーは、「企業やプロダクトを応援したい気持ち」と「冷静な一個人」という2つのマインドを使い分ける必要があります。ブロガーには雑誌ビジネスみたいなしがらみが無いぶん、守るべきモノは守り通せると信じていますが、そのうちブロガーに圧力をかける宣伝担当者も増えてくるでしょう。そして「そんなヤツ、ブロガーから総スカンだろ?」とか思っていたら、意外や意外、多数のブロガーがお小遣い欲しさに魂を売り飛ばしていた……なんてことも近い将来、いや、一部ではもう起きているでしょうね。

まぁその点、私程度のライターなら無理なリライト依頼が来ても「絶対に直さねえ!そんなに直したかったら勝手に(編集側で)直せ!クレジットには絶対に俺の名前を入れるな」と突っぱねても、私自身は困りません。だいたい、そのとおり(広告主様の望まれるとおり)になって本が出てますけどね、過去のケースでは。


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「広告主は編集記事と広告の違いを意図的に無視している」への3件のフィードバック

  1. 四家です。
    記事ご紹介ありがとうございました。
    該当記事で取り上げさせていただいた田口元さんの手法は、カレンの推進するブロガーリレーションズ同様、クライアントはブロガーが書いた記事内容に一切介入しないというのが前提です。生活者の自発的な発言こそに意味があると考える企業でないと使えない仕組みです。
    ですので、macforestさんのおっしゃる、「広告主は編集記事と広告の違いを意図的に無視している」という話題と、僕の書いた記事とは、全く別の話であると考えます。
    また、僕はもともと媒体社の広告営業担当をやっていた人間ですが、クライアントから記事に関するプレッシャーを受けたことはとても少なく、また受けても編集部には回しませんでした。編集部がレビュー記事を掲載前に取材先企業に見せることもほとんどなく、事実確認のために見せたとしても修正の要請をそのまま受けいれることもなかったと記憶しています。
    このあたりは、業界慣習や、広告主・広告会社・媒体社それぞれのポリシーによって事情はまちまちなのではないかと思われます。なので「人種」で括るのも、正直どうかと思います。

  2. しかしながら、僕もフィットネスクラブで自転車をこきながら雑誌を読み、記事だか広告だかわかんないページを見るたびに「おいおい、これはまずいんじゃないの」などと独り言を言ったりするので、macforestさんの仰ることも理解できます。
    ですが、やはり別の話だと思います。

  3. 四家正紀さま、コメントありがとうございます。macforestこと須貝です。コメントに気づくのがちょっと遅くなりました。まず先に「人種でくくるのは」というのは、確かにおっしゃるとおりで、私が書いたことに当てはまらない方も多数いらっしゃるので、くくってしまうのは乱暴でした。失礼しました。
    ひとつ後のエントリに少し言い訳っぽいことを書かせていただきましたが、四家さんが「別」とおしゃる意味、いただいたコメントでよくわかりました。ただ、リレーションっていう意味では、少しだけ通ずるところもあるだろうな〜と個人的には思っております。
    日々考える中で、また書きたいことが出てきたらエントリにしたいと思います。ありがとうございました。

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