小田急電鉄はなぜロマンスカーの「ルーツ」を大事にしないのか


小田急ロマンスカー総覧

しつこいですが前回のネタの続きです。先に断っておくと、「ロマンスカー」という名前を本当に広く知らしめるきっかけとなったのが旧3000形SEであるということには、なんの疑問も抱いていません。

大正出版「小田急 車両と駅の60年」(吉川文夫・編著)という本に、元小田急電鉄社員で車両部長等を歴任された生方良雄さんが「特急ロマンスカーものがたり」という原稿を寄稿しています。それを読んでみると、「ロマンスカーという呼び名が出た時期ははっきりしない」が「戦後まもない時期」であることが推測されます。Web上にソースはないかと探してみたところ、その生方さんが座談会で発言されているのを見つけました。

リンク: 有鄰 No.472 P3 座談会:新宿・小田原・江ノ島 「小田急」開通80周年 (3).

松信:ロマンスカーという名前も印象的ですね。

生方:ちょうどそのころ、新宿の武蔵野館という映画館に、2人掛けのロマンスシートという席があって、それがヒントだったようです。

生方さんの「ちょうどそのころ」という発言は、リンク先を見ていただくとわかるのですが、1949(昭和24)年に特急用の車両=1910形を新造した「そのころ」を指しています。先の本の中の話と、だいたい一致しているんです。これがすべてとは思いませんが、まったくのウソというわけでもないでしょう。

と思ったら、もっとすごいのを見つけてしまいました。ネコパブリッシング・名取氏のブログです。

リンク: 編集長敬白: この週末、注目の展覧会ふたつ。.

この記事の中に「躍進する小田急 ニュールックロマンスカー毎日運転」というコピーが書かれたポスターが紹介されていて、そのポスターに映っている電車が1910形なのです。ちなみに小田急OBが中心となって昨年開催した「昭和30年代の小田急線写真展」で展示された品物だそうです。

戦時中に五島慶太によって東京西部の私鉄がほとんどすべて「東京急行電鉄」に統合された後、労働組合などの強い運動の成果によって各社が分離独立し、小田急も独自性を取り戻したのが、1948(昭和23)年6月1日。そして、戦争の影響でまだガラスのない電車も走っていた時代に、特別にピカピカに整備した車両を用意し、新宿〜小田原間ノンストップの特急を運行開始したのが同年10月16日。初の特急専用車1910形を就役させたのが、1949(昭和24)年9月17日。この1910形からすでに、喫茶のシートサービスが始まっています。今、VSEで目玉のサービスとなっているあのシートサービスのルーツです。そして、箱根登山鉄道の箱根湯本まで直通するようになったのは、1950(昭和25)年8月1日です。

※参考資料:大正出版「小田急 車両と駅の60年」(吉川文夫・編著)

また、なんと小田急自身のWebサイトにもこんな記述があるのです。

リンク: 小田急80年史・新生と復興|会社案内|小田急電鉄.

翌1951年2月には、転換式クロスシートの採用などでさらにデラックスになった1700形特急車が就役し、「ロマンスカーの小田急」「箱根へは小田急で」のイメージを定着させました。

こうやって出来事をなぞってみると、「箱根特急」そして「ロマンスカー」というものが小田急という会社の復興に少なからぬ役割を果たしていたのだろうと想像することはできます。そして、こういうルーツと積み重ねがあるからこそ、1957(昭和32年)の旧3000形SE車、そして今日に至る「ロマンスカー」というサービスやブランドが成立しているのではないでしょうか。

小田急電鉄は、ロマンスカーという存在に誇りを持っていると聞きます。誇りを持っているなら、なぜルーツを大事にしないのでしょうか。なにせこのブログがロマンスカーに関するブログですから、こうやって長々と書くとかなり電波な感じになってしまいますが、ようするに「じゃぁアナタたちの誇りって、何なの?」「先人たちのおかげで今があるんじゃないの?」ということを、言いたいわけです。自分たちのルーツに誇りを持っていれば、今年を「ロマンスカー50周年」などと勝手に定義して一稼ぎしちゃおうだなんて考えないと思うのです。再定義するときは、それこそロマンスカーという看板を捨てるときでしょう。

もちろん「SEが初代ロマンスカーなら、それ以前のロマンスカーは何て呼べば?」という想いもありますけど(笑)

あ、「ロマンスカー50周年」のポスター見つけました(笑)

リンク: 鉄道の小箱 : 小田急ロマンスカー運転50周年記念ビール.

リンク: 小田急生活 小田急ロマンスカー 旧塗装化工事 (平成19年5月30日).


渋沢あさぎ(小田急ロマンスカーVSEアテンダント)1鉄道むすめ VOL.3(トミーテック)

「小田急電鉄はなぜロマンスカーの「ルーツ」を大事にしないのか」への5件のフィードバック

  1. 一連のエントリを拝見し、私もmacforestさんに全く同感であります。
    小田急自身がHP上で「ロマンスカー50周年」と言い切っていることに違和感を感じておりました。
    もちろんSEは歴史に残る名車ですから、その生誕50周年を記念し、来年のMSE登場までのネタにするのは大いに結構なのですが、それ以前のロマンスカーをないがしろにしているようで悲しく思います。
    なぜ「SE就役50周年キャンペーン」としなかったのか。
    広報担当にその辺の見解を聞いたみたいのは私だけでしょうか。

  2. yocch さん、コメントありがとうございます。このエントリの要約を「小田急お客さまセンター」に意見として送ってみました。

  3. 小田急電鉄の返答が来ました。主旨としては「SE車以前よりロマンスカーという愛称は使われていたようだが、SE車の特急就役により近代ロマンスカーのスタートとの位置づけをして、今回のイベントとした」というものでした。
    要するに都合の良い解釈をしたということですね(笑)

  4. こんばんは、みゃあみゃあです。
    一連のコメントを拝読しました。小田急側は明らかに「都合のよい解釈」しかしていませんね。
    一般利用者の目はごまかせても、愛好者達の目はごまかせません。私が今回「ロマンスカーものがたり」を執筆したのも、オフ会をきっかけに「本当のロマンスカーの歴史の旅」を楽しんでいただけたら、と思って書いたのです。
    私の専門は、歴史学(交通史・食文化史)、観光地理学です。従って、小田急に限らず全国の特急列車の歴史を研究しています。
    本当に「小田急ロマンスカーの歴史」に関する過去の鉄道雑誌や資料を読んだ事がある方なら、今回の「ロマンスカー50周年」という表現は、「とんでもない誤り」という事に気がつくことでしょう。
    私も、生方氏の著書は何冊も読みました。今回のレジュメ製作の資料にも使用させていただいたほどです。

  5. みゃあみゃあさん、コメントありがとうございます。愛好者の気持ちというのは、正直言って私にもよくわかりません。ロマンスカーは愛好者のために走っているわけでもないですし。ただやはり、サービスとして誇りを持っているのだとすれば、そのヒストリーをないがしろにするというのは、私はどうしても解せないのです。小田急のブランド戦略って、実はとっても軽薄なのかなぁと思っています。

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