ひとまず自分のために記す東日本大震災

●3/11

東京都町田市。母、祖母と同居。祖母は足を骨折し、これからリハビリというところで現在歩けない。そんな状況で地震がやってきた。

地震の揺れのさなかに停電した。こりゃまずいなと思ったが、とにかく玄関のドアを開く。祖母が退屈しないようにラジオは入れっぱなしで緊急地震速報も聞けて心構えができたのは良かった。

停電してテレビが見られない。FAX電話だから電話もムリ。Mac miniもADSLモデムもダメ。iPhone大活躍と言いたいがソフトバンクの電波が弱い。MacBookとiPadとイーモバイルのポケットWiFiが活躍。MacBookはパソコンというよりも、ポケットWiFiの外部電源として活用。iPadはバッテリーが持つから、こういうときは頼りになる。

余震も続くので、ひとまず浴槽に水をいっぱいためた。

暗くなる前に、台座が壊れた自転車用LED(もともと懐中電灯代用として持っていた)と、自転車に付けていたLEDライトを確保。もう1台の自転車のライトからは電池を取り出し、エネループモバイルブースター用に確保。

ヘルパーさんが自宅に様子を見に来た。在宅確認だけで帰った。独居老人の安否確認をするという。ご苦労様。

ワンセグでNHKを見たら名取川を津波が遡上していた。

公衆電話で171にかけるが、途中で切れる。安否情報をTwitterやFacebook等に残しておく。

夜になり、母は帰れないだろうと腹をくくる。

トイレに行ったら水が出ない。洗面所の蛇口をひねると弱々しい。水圧低下か。浴槽の水がいきなり役立つ。

空いたペッドボトルに飲料水も確保した。

一人暮らしの妹から携帯キャリアの災害用伝言サービス経由でメールが入った。問題ないようだ。

夜遅い時間から、SNSがポツポツとタイムラグありつつやりとりできるようになる。

妹がmixiとFacebookで俺を見つけた(笑)

外部電源のMacBookが頼もしいが、ガラケーの充電だけができない。

母親からメールが届いた。かなりタイムラグがあるようだ。

23時前、さすがにウトウトしていると、玄関をガチャガチャする音がして飛び起きるが、勤め先から徒歩帰宅を決行中に路線バスを見つけ、それがまさかの最寄りの隣駅行き、後ろドアからなんとか乗せてもらい、一駅歩いて帰ってきたのだった。まさかの当日中帰宅。

数分後、速く電気復旧しないかな〜なんて話しながらカーテンを開けたら、向かいの家の電気がついていた。おお、電気来た!ということで、ブレーカーをチェック。漏電ブレーカーが落ちていたようなのでちょっと怖かったが、ブレーカーを上げると電気が復旧した。

余震に備え、いつでも避難できる格好で就寝。

●3/12

祖母が病院に行く日だが、キャンセルする。

余震続く。テレビとラジオで情報収集しつつ、できることを考える。電力需要ピークを迎える前に母が炊事洗濯。我が家にはクルマがないので、私が自転車で買い物に。近所のコンビニとスーパーを状況確認も兼ねて回る。コンビニにはあまりにモノがなかった。スーパーのほうが、比較的モノがある。第一便で食品、第二便でトイレットペーパーや電池など。

家族がいるけど午後はヘルパーさん来てもらう(予定通り)。

原発事故のニュース。心配だがこちらにできることはない。祖母の部屋のラジオはNHKから、それよりも少し明るい感じのするニッポン放送に。私は自室でTOKYO FMやJ-WAVEを聞く。ただ、FMのパーソナリティはときおりとんでもないことを言う。しかたないとはいえ。

余震に備えて非常持ち出しの確認。

妹、勤め先の店が営業する関係でしっかり働かされたそうで、怒り気味のメールが来るが、それでも早じまいしたそうだ。

この時点でようやく、近所の仕事部屋に様子を確認しにいく。自転車が倒れていた。しかしそれ以外は、案外大丈夫。仕事部屋に、超シンプルな電話機があるので、それをピックアップして自宅に帰る。FAX電話は電源がないと何もできないから。

余震に備え、いつでも避難できる格好で就寝。

(ひとまずここまで)